「行雲流水」・こううんりゅうすい・
空に浮かぶ雲や川を流れる水のように、自然の成り行きに身を任せて悠々と生きる。物事に強くこだわって執着しすぎないように、あるがままの状態を受け入れることで心が安らいでいくという禅の教えです。
大空にゆったりと浮かぶ真っ白な雲、さらさらと清らかに流れる川の水。雲も水も一か所に留まることなく、流れに身をゆだね動き続けている。概念やかたちに固執しないで、他の力に逆らわず成り行き任せでいた方が、案外うまくいくものなのかもしれません。
人は山あり谷ありの人生経験をするうちに、自分をさらけ出して生きていくことが難しくなっていくようです。順風満帆とはいかぬ人生を自然体で生きぬくためには、潔さが必要です。生きるうえで”こうでなければならない”と決められたことは何ひとつありません。見栄を張ったり自分を飾ったりしないで、ありのままの姿を表現すれば良いはずです。表面的な事柄を気にして偽りの自分をつくってしまえば、悩みや苦しみから解放されずに心満たされることはないでしょう。肩の力を抜き本来の自分で穏やかに笑っていたいものです。
「行雲」は、諸国を行脚する禅僧に例えられることもあります。ふと、カバンひとつで自由気ままに流浪の旅をする「フーテンの寅さん」と修行僧が重なってみえた。風の吹くまま気の向くまま、どんな時でも自分流を貫きながら風に身を任せてゆったりと流れていく。物事を淡々と受け止める大らかさと、荒波を乗り越えるたくましさを持ち合わせた寅さんはまさに「行雲流水」の様ではないかと思う。
その寅さんシリーズの中で印象的なセリフがあった。「人間は何のため生きてんのかな?」という甥の問いに寅さんは”ああ、生まれてきて良かったな・・って思うことが何べんかあるじゃない、ね?そのために人間生きてんじゃねえのか”と言った。破天荒でありながら、人間味あふれる寅さんらしい問答だった。
「生まれてきて良かった」と感じる瞬間は、心揺さぶられる程の大きな喜びや、感動する出来事があった時。その内容は価値観や感性によって様々だが、間違いなくその瞬間は心穏やかで自分を大切に思えていることでしょう。自分を尊ぶことができた時、心が満たされ幸福感に包まれます。だから「生まれてきて良かった」と思えること自体が、幸せな状態なんだといえるのではないでしょうか。本気で生きることを全うし、人生の幕を閉じる時に「我が人生悔い無し」と思えたとしたら、それは究極の幸せだといえますね。